職人の仕事場を訪ねる旅

A journey to meet craftsmen

  • JUNE 21, 2017
  • INTERVIEW
  • 刀工 将大 中西 裕也

モノづくりの結び手「近藤芳彦」が導く未来を創る職人との出会い、そして価値ある体験への誘い

近藤芳彦が、自身選りすぐりの職人5名を訪れ、対談をしながら「お客さんに喜ばれる体験」について考えるシリーズ。多くのお客さんと職人の橋渡しをしてきた近藤と、伝統技術を継承しながら未来を切り拓く彼らが考える「業界事情」「今後残したいもの」「発展させたいもの」とは?

刀工 将大中西 裕也さんYuya Nakanishi

〈写真右〉1984年生まれ。中学生の頃、日本刀のもつ神秘的なまでの美しさに魅せられ、刀匠を志す。高校を卒業後、大手自動車メーカーの工場で働きながら自己資金を作り、20歳の時、福島市の刀工藤安正博氏に師事。7年間修行を積んだ後、東日本大震災をきかっけに独立。藤安さんの刀工銘「将平」から一文字を贈られ、「将大(まさひろ)」を名乗る。2014年10月、京都府亀岡市に自らの銘を掲げる「将大鍛刀場」を立ち上げ。オーダーメードで美術工芸品としての日本刀づくりに取り組む。

株式会社京都結 代表取締役近藤 芳彦さんYoshihiko Kondo

〈写真左〉1972年、京都生まれ。八坂神社・北野天満宮狛犬の銅像製作などを行った彫刻家の石本暁海を曾祖父、官僚を経て寺院の住職となった祖父、表具師として掛け軸や屏風などの仕立てを行った父を持ち、2006年、個人・法人を対象に京都旅行を企画するトラベル京都を設立。2016年、観光イベント・ツアーの企画・開発及び京都府内の観光コンテンツ企画・開発、デザイン制作、コンシェルジュ業務、コーディネート業務を行う株式会社京都結を設立。府の職員として長期間地域に定着する非常勤職員として和束町でも活躍。

日本刀を作ることができる「作刀職人」の資格を持つのは、全国でもわずか300人。京都では、今回紹介する中西裕也氏(刀工銘中西将大)だけです。圧倒的な存在感と神秘的なまでの美しさで、見るものすべてを魅了する日本刀。そのモノづくりの技術を今に伝える現代の刀鍛冶中西氏に、日本刀の持つ魅力、こだわりのモノづくりについて聞きました。

究極の機能美ともいうべき美しさ、
それがつくられた時代の息吹まで感じとれるのが日本刀の魅力です。

近藤刀工を志したのは、中学時代とうかがいました。中西少年をそこまで引きつけた日本刀の魅力とは何ですか?

中西なによりも、まず美しいこと。「究極の機能美」だと私自身は思っています。また少し勉強すれば分かることですが、そこにかつての日本人の考え方や思いまでもが、すべて入っている。

近藤日本刀にですか?

中西そうです。どこにどんな角度で反りを入れれば迫力があるように見えるか、どれだけの長さで、どこに刃紋を入れれば美しく、品格があるように見えるか、細部にいたるまで計算され尽くされている。しかも、そうやってできたものが、誰も一切手を加えずに、当時のままの姿で今に残されている。そこに日本刀のいちばんの魅力があると、私は思っています。

近藤確かに300年前、500年前につくられたものが、そのままの形で今の時代に受け継がれているのは、ある意味で奇跡かもしれません。

中西戦後の日本はGHQの命令で美術工芸品としてしか日本刀をつくることができなくなり、刀工は芸術家のように自分のつくりたいものをつくるようになりましたが、明治になるまでは基本的に武士の求めに応じてつくっていたので、そこには当然、時代の空気というものが色濃く反映されています。

近藤今風にいえば、お客様のニーズに対応したものづくりがされたと?

中西そうです。例えば平安時代までの刀は、真っ直ぐな「直刀」でした。それが平安時代の終わり頃から独特の反りが入ったいわゆる「湾刀」がつくられるようになりましたが、反りが最も大きかったのは実は最初の頃だけで、その後少しずつ湾曲がゆるやかになり、あの独特の反りをした日本刀へと進化していきます。また江戸時代に入ると戦いもなくなり、武器としての実用性よりも、美術工芸品としての価値が最優先にされ、刃紋に菊の紋や富士山を描いたり、より技巧的になってさまざまな装飾が施されるようになります。むかしにつくられた日本刀を眺めていると、群雄割拠の戦国時代には戦国時代の、平和な江戸時代には江戸時代の息吹を感じ取ることができて、それも日本刀を語る上で欠かせない魅力のひとつです。

▲ 研ぎすまされた日本刀の美しさには、それがつくられた時代の息吹が映し出されている。
▲ 砂鉄からつくられた玉鋼(日本刀の原料)を真っ赤になるまで熱し、鍛造機で叩いて不純物を弾き飛ばす。

研ぎすまされた職人の感性と、
緻密な計算とがひとつになって、ひとふりの日本刀が生まれます。

近藤実際のモノづくりでは、どんな難しさがありますか?

中西例えばふいごは、玉鋼(*1)を加熱するための火力を調節する道具で、これがないと日本刀は作れません。私が今使っているのは、専門の職人さんから譲り受けたふいごで、手元の棒をピストンのように動かすと、まるで人間が肺で呼吸をするかのように箱全体が膨らんだり、縮んだりしながら、火床(*2)に勢いよく空気を送り込んでくれます。

近藤古いふいごにこだわるのは、どういう理由ですか?

中西現代風にアレンジして作られたふいごを一度使ったことがありますが、両手を使わないとうまく空気を送れないし、空気が抜けて風の勢いも弱い。使い勝手が全然違います。今はもう、専門のふいご職人もいなくなりました。それで何年も前につくられた昔ながらのふいごを、修理しながら使い続けているんです。

近藤刀づくりには、欠かせない大事な道具ですね。

中西ふいごだけではありません。火床で熱せられた玉鋼を叩く鍛造の機械も大切な道具です。機械がなかった時代は、人間が槌を力一杯振り下ろして玉鋼を叩いていました。でも今は機械があるから、人の力を借りなくても一人で刀がつくれます。中には機械を一切使わず、人力だけで鍛錬(*3)をする刀工もいますが、その多くは観光イベント用で、美術工芸品として販売される日本刀は、すべて機械を使ってつくられています。

近藤真っ赤に溶けた玉鋼を機械で叩く場面は、何度見ても迫力があります。

中西玉鋼が熱せられ、高温になると、ある段階で赤い炎が金色に輝き、玉鋼から“シュー”という音が聞こえてきます。それが聞こえると、玉鋼が鍛錬するのにちょうどいい温度に熱せられた証拠。いわゆる「沸いた」状態であることを示しています。3年ほど修行を積むと、それが分かるようになってくる。その瞬間を敏感に感じとれるかどうか、職人の力量次第ですね。

近藤今はパソコンとか、メールとか、便利なものが身の回りにいっぱいあって、何でもやってくれる。それだけに五感を働かせられない人が、どんどん増えているといわれます。“感じ方”を磨くことが、モノづくりでは大事ですね。

中西先ほど、日本刀の魅力は計算され尽くされた美しさにあるといいましたが、机上の計算だけでつくれるものでもありません。鍛え抜かれた職人だけが持つ感性と緻密な計算がひとつになって、“芸術作品”とも評される日本刀が生まれているのです。

*1:砂鉄からつくった日本刀の原料鉄
*2:ほどと読む。松炭で玉鋼を加熱する炉。
*3:重ね合わせた玉鋼を叩いて一体化し、不純物を取り出すこと。

▲ 熱しては叩き、熱しては叩き。同じ作業を何度も繰り返すことで、鉄は一体化し、日本刀の強靭さがつくり出される。

世界中の人々を魅了し続ける日本刀。
最盛期といわれる鎌倉時代の名刀を今の時代によみがえらせることが目標です。

近藤刀匠は今、全国あわせても300人ほどと聞きました。

中西その中でも作刀を生業にしているのは、30人ほどを数えるに過ぎません。

近藤日本の伝統文化の象徴ともいえるに本当の技術が、次第に失われていく現状を、どうご覧になっていますか?

中西確かに刀匠の数は減っているし、作刀だけで生計を立てるのは、ますます難しくなっています。でも日本刀の未来に対して、私はそれほど大きな危惧を抱いてはいません。

近藤それはどうしてですか?

中西日本刀には、肌の色や文化を超越して、人を魅了してやまない何かがあるからです。毎年2〜3月になると「刀匠になりたい」という若い人たちから入門希望の問い合わせを多数いただきます。また京都に来られる観光客の方を対象に刀づくりを体験してもらうイベントを開催すると、多くの外国人の方がお見えになって、熱心に見ていかれます。それだけの魅力があるがに本当にはある。だから大上段に振りかぶって、「日本の伝統文化を継承するんだ」と肩肘張る考えはないですし、自分にできることは、ただひたすら今の時点でとにかく精一杯いに本当をつくり続けることだけだと思っています。

近藤将来にむけて、何か夢はお持ちですか?

中西歴史的には、鎌倉時代が日本刀の最盛期。鎌倉時代の日本刀が最も優れているといわれています。ところが日本刀づくりの技術は鎌倉以降も絶え間ない進化を続け、変遷を重ねていったために、今では鎌倉時代にどんな方法で日本刀をつくっていたのか、製造方法を知るすべはなくなっています。そんな鎌倉時代の名刀といわれる日本刀を再現してみたいというのが、今の私の夢です。

近藤製造方法も分からないとすれば、研究にも長い時間がかかりそうですね。

中西実は、江戸時代にも一度、ある有名な刀鍛冶が鎌倉時代の日本刀を再現しようという運動を提唱したことがあって、多くの刀鍛冶がその実現に挑戦した記録が残されています。私に限らず、すべての刀工にとって共通の夢といえるのかもしれません。

▲ 日本刀の良さを、一人でも多くの人に知ってもらうこと。それが伝統技術を次代に伝えることにつながると信じている。

玉鋼を叩く、天然砥石で研ぐ——。
地元職人とのコラボなど新たな企画で本格的なモノづくりを実体験できる場へ。

近藤先ほど話題に出た体験イベントでは、弊社も協力させていただきました。

中西所要時間3時間ほどで、原料となる鉄の鍛錬から焼入れなど、ひと通りのプロセスを経験していただき、完成した短刀をお土産として持ち帰っていただくという企画でした。アメリカとイギリスの方が中心で、日本刀が国籍を問わず、多くの人を魅了する力を持っていることをあらためて肌で感じました。昨年はまた、アメリカの歴史専門チャンネルで、世界的なロックスターがナビゲータ役を務め、京都をめぐるという旅番組の取材で30人のクルーとともにやって来たこともありました。いくら外国人観光客が多くなったとはいえ、それだけの人数の外国人が一度にこの狭い村にやって来るなんて前代未聞ですから、大変な騒ぎでした(笑)。

近藤この春の体験イベントは、さらに人数も増えるはずです。今後何か新しい趣向も、考えいきたいですね。

中西昨年のイベントでは、どこでも手に入る普通の鉄を原料に短刀づくりを体験してもらいましたが、今年はより本格的に玉鋼から短刀をつくることを考えても良いのかもしれません。時間的には、少し長丁場になりますが、きっと満足してもらえると思います。

近藤隕石の塊のような玉鋼から美しいに本当がつくられることを知ってもらえば、お客様に喜こんでいただけるかもしれません。あるいは同じ亀岡で砥石職人として活躍される砥取屋(ととりや)の土橋要造さんとタッグを組むのも面白いかもしれません。

中西今は鍛錬して短刀のカタチにしたものを機械で研いで仕上げてもらっていますが、天然の砥石を使えば刃紋をつくる作業も体験してもらえます。

近藤ぜひやりましょう。楽しみになってきました。今日はありがとうございました。

「将大鍛刀場」を尋ねる体験の旅はただいま準備中です。